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日記

日記

大体2017.1.10〜晴れてるけど寒い雪とか降った〜22

2017.1.9の朝に仕事が終わってから十日間ほど仕事がない。1.10に街に買い物に行って以降1.15まで全く外出せずにひたすら家にいた。何をしていたのかといえば毎日わらじを一足編んでご飯を作り、猫と戯れ、インターネットを見て、本を読んで、酒を飲んでいた。人の気配はインターネットの中にあって自宅の外でたまに声や足音がするのは人というよりも自然現象の1つのようだ。食料と電気とガスと水道と灯油さえあれば自分の生活はこの家の中だけで十分に完結してしまうようなもので殊更に何かと係わろうなんてする必要がない。自分以外の人間の存在は自分の生存に全く関係がない。「あなたがいないと生きて行けない」みたいなセリフは嘘だ。家があって飯食って寝て起きてれば人間は生きていける。一人でも個体の生存に問題はない。猫はいるけど。そんなこんなで1.15は久しぶりに外に出た。雪が降ってとても寒かったので酒でも飲もうかと思った。梅酒とホワイトベルグは家にあるけどそういうんじゃなくて日本酒の熱燗が飲みたかった。寒くて。コンビニも酒屋も日曜は休みなのでいったん諦めかけたんだけど近所の神社の土産物屋がかなり大きかったことを思い出して行って見たら日本酒がたくさんあったので無事に買って帰って熱燗を飲んでいる。

 

このあと酔って文章書く感じじゃなくなって寝るかツイッター見るかして1日終わった気がする。今は20日です。日本酒は翌日やや残るので気をつけないといけない。でも、自分が飲む酒の中では一番よく酔えるので好きだ。15日の日記では生きてくのは一人でもいいみたいな感じで終わってるけどそうじゃなくてやっぱさみしいみたいな風にまとめようと思っていたけどその前に酒が回ってしまっただけです。一人でもまあ大丈夫だけどたまには人にも会いたい。一人暮らしは飽きた。本当に誰か一緒に暮らさない?とか知人に聞いて回りたいくらいだ。こういうことは年に何回か考えるけど実際に一緒に住まないか打診したことはない。打診してみればいいような気がするがなんとなく、そもそもそういう選択肢が想像上のことのように思っている節もある。どこでもドアあればいいのにって言うけどどこでもドア開発しようとはしない、みたいな感じだ。たまにさみしくてこれ以上存在するのが無理!とかあたたかい泥の中で酸欠になって死んで行くような気分になることを除けば、一人暮らしは気ままです。いつか本当に一人でいるのが無理になったとしてその時に誰かと一緒にいるために行動を起こすだけの力があるのかどうか。死ぬ寸前まで空腹を我慢して食べる気力もないまま死ぬみたいなことになる気もする。それはそれで寿命って感じでいいのかもしれない。さみしさに耐えかねて死ぬとかウサギみたいだ。ウサギはさみしいと死ぬっていうのは嘘らしいけど。あのドラマってのりピーだっけ?青いウサギ。青い色のウサギ実際にいたら怖いな。せめて、目は赤じゃなくて茶色であってほしい。本当は昨日の夕方から今日の朝まで久しぶりの仕事があったはずなんだけどなくなってしまったので肩透かしを食らったような気分だ。悪くはないけど本当にいいの?こんなに働かなくて?とか言いつつ部屋の掃除と公共料金の支払いを済ませて昼からピザ焼いてホワイトベルク飲んで音楽聴きながら読書しつつ猫を愛でたりしていた。楽しいといえば楽しいし、さみしいといえばさみしい。いい加減人間と口をききたい。

 

途中から脳内会話をそのまま書く感じになった。酒を飲むとわりとつるつる文章を書くらしい。今は多分シラフ。さっきからリアルタイムでものすごくさみしい気分になったので記録でもつけようかと思う。かと言っても言語化できるような質のものでもなく、息がうまく吸えない感覚とか、頭の中でひたすら「アー」とか「ウワー」とか叫んでるけど外見はいたって普通で(当たり前か)ストーブの前に座って猫を膝に乗せながら本を読んでいる。たまに猫を撫でてストーブの上のヤカンの白湯を飲んだりする。頭の中ではいよいよ大変なことが起こっています!という感じなんだけどものすごく平和な外観。頭の中ではって書きましたが、頭が痛くなったりとかはしない。むしろ肺というか心臓のあたりが苦しい。圧迫感がある。嗚咽をこらえている時の感じに近いと思う。もちろん実際に泣いているわけではないし泣く気配もない。淡々とiPhone5cでフリック入力しているだけだ。こういう気分の時はひたすらじっとこの気分が好転するのを待つ。一人だとそれくらいしかできることがない。誰かしらに連絡を取って慰められたらさぞ安心するのだろうなーという妄想はよくするが実行したことはない。そもそもなんて言って連絡すればいいのか「さみしいから慰めてくれ」って急に言われたら困るだろう。そういう時に連絡したくなる人というのは大体自分が好きだと思ってる人なので困らせたくない。あと、メールとか電話とか相手の表情が見えないツールが苦手で自分から連絡取ったくせにうまく返信できずに余計に落ち込むこともある。文字情報だけだと相手の気持ちがよく分からないので緊張する。用事がはっきりしていれば平気だが、さみしいってぜんぜん用事でもなんでもないし何かやりとりしようにもぼんやりしすぎでなんて言っていいか分からない。で、誰かこういう時に会える人がいればなんとかなるんじゃないかと思うが、そう都合よく目の前に人が現れるわけもない。とか何回考えたんだか分からないけど本当にくだらないなーと思う。そして飽きた。飽きた、と感じたところでさみしさはなくなっている。あとはひたすら馬鹿馬鹿しい。しょうもない。困らせたくないとかいう軟弱な言い訳にも腹が立つ。人間関係をややこしくするストレスに耐えられない弱さとか、自分の弱みを言質残る形で他人に表明したくないとかそういうせせこましさが現状の生活を作り出している。それはそれでいい。なんだ、この間抜けな一人芝居はと思ったら落ち込み終わり。

 

今は22日です。昨日は久しぶりにパン屋とカフェに出かけて人と喋ってカフェのWi-Fiで猫タンブラーを更新したり、来月の旅行の宿泊予約やバスの価格比較などをしていた。Wi-Fiがあると快適なインターネットができる。動画も見たい放題。帰宅後、ソフトバンクの速度制限も解除されていたのでさらに調べ物が捗った。ふと、一年前に書いていたひどい内容の日記を思い出して久しぶりにログインした。タイトルを見ただけで全部消した。ああいうのは読み返さない方がいい。ちょっと読み返したいなーとも思ったけど消してスッキリした。

 

唐突に人と関わりたくなる。あー、人と関わりたい!!と思うが周りに人がいないのでひたすら関わりたい!と、思うだけ。二月の旅行の手配で友人たちとやりとりするのも終わってしまったしとくに連絡するようなことがない。用事がないというのは悲しいことだ。ちょくちょく合わないと用事ができるきっかけなんてどんどんなくなっていってしまいには関係が切れてしまう…。それは嫌なので自分で会いにいったりするわけだけど。意思とか志向を向ける相手がいるだけでも良しとしておこう。京都と東京に行くんだけど東京滞在がわりと長いので近辺に住んでいる人に連絡して遊びの予定でも立てよう。