日記

日記

2017.3.13〜16 もと去勢手術経過観察

猫(もと)の去勢をした。

3/13

朝から絶食させてバスで病院に連れて行く。少し鳴くがおとなしい。14:30ごろ病院に到着。洗濯ネットに入れられて病院のケージの中に収まったもとの鼻をなでると体全体が硬直しているのがわかる。一泊入院。

 

3/14

14:00ごろ原付で病院に迎えに行く。洗濯ネットに入れられて病院のケージの中で固まっている。呼びかけると鳴くが弱々しい。病院のケージから出てこないので無理やり引きずり出す。入院中、水は飲んだが餌は食べなかったそうだ。抗生物質を打ってもらって化膿止めをもらう。抜糸は二週間後。手術費14800円くらいだった。原付にケージをくくりつけて帰宅。玄関にケージを置いて蓋を開けて洗濯ネットを取ってやるとそろそろと顔を出す。ぶんが寄ってくるがすぐ逃げた。ドライフードを出すと少し食べて水を飲んだ。ちょっとふらついていたがすぐにいつも通り歩き出してホッとする。匂いが変わったのか一泊入院しただけなのにぶんがもとを威嚇するようになった。もらった錠剤を飲ませようとするが器用に吐き出してしまう。傷口を舐めているのが気になるが糸を噛んだらしていないので見守る。トイレでウンコをしていたのでホッとする。

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3/15

相変わらずぶんがもとを威嚇するので朝食を落ち着いて食べられない。食欲は普通。膝に乗ってきたりコタツに入ったりしてくつろぐ。もとの毛に消毒っぽい匂いがするのでぶんが威嚇するのかもしれない。手術痕は特に問題なさそう。スプレーっぽい動作をするので玉を取っても癖は抜けないのかもしれない。

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3/16

ぶんの態度が和らいでいる。やっと三匹そろって朝食。距離感はあるが。

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昼ごろからぶんともとが近くにいることが多くなる。しばらくすると横に並んで外を見ていたのでもう大丈夫。

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手術痕を舐めているのが気にはなるが問題なさそう。早く抜糸して玉に毛が生えるといい。写真を撮ったらちんこが出ていた。猫の造形は細部まで可愛くできていてすごいと思う。

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化膿止めは食事に混ぜて出している。食べている時もあれば残している時もあり、もしかしたら他の二匹が食べている可能性もある。

 

2017.3.1 曇り寒い

3月になったけど寒い。花粉も飛んでいてつらい。早春を楽しめないのは春というほど暖かくもなく花粉で具合が悪くなる季節だからだ。それ以外はいい季節だと思う。冬から春に変わる期待感は好きだ。本当に好きなのは初夏でつやつやとした葉桜や真新しい緑、暖かく爽やかな空気、重たい上着を完全にしまえるくらいに安定した気候…。早く5月になって欲しい。

2017.2.9 雨雪

寒い。布団の中で雨の音を聞いていた。暗くて寒い朝にはもううんざりした。寒いのは仕方なくてもせめて朝焼けくらい見たい。仕事がなくて良かった。猫に朝食を出してコーヒーを飲む。明日から出かけるので落ち着かない。猫のトイレと自動給餌器と水を用意するのは夜になってからでいいし今回の旅は特に荷物を持たないつもりなので荷造りも大してない。財布と充電器とiPhoneだけ忘れないように気をつける。

 

家族最後の日を読んだ。植本さんの文章は情報量が多い。高精細。結婚してても好きな人ができるところにものすごく納得した。そもそも、恋愛を何度かしたことがある人間が結婚した途端に他の人を好きにならないわけがないじゃんと思っていたので。いや、結婚後は特に好きな人ができないということももちろんあるとは思うけどそれはただの運でしかないのではないか。で、すごくありきたりで雑なんだけどいろんな人がいるよなーとか人一人の生活の中には本当に様々な要素が溢れかえっているし、それは想像できるといえばできるんだけど想像の追随を許さないほどに日常には瑣末な出来事が氾濫していてそんな中で他人というものをわかった気になるのは怖いことだと思った。怖いというか、わかった気になってもきっとわかってないんだろう。話は飛ぶけど、自分で考えたこととか言ったこととかを守ろうとしなくてもいいなと思った。守ってることが楽ならいいけど、しんどくなってきたらいくらでも破棄して別なことをすればいい。

2017.2.5〜らへん 雨が降る

朝の仕事が終わってしばらく労働から解放される。とりあえず16連休。だけど、明日はペンキ塗りの仕事が入っている。誰もいないビルの一角で一人で黙々とペンキを塗る仕事。寒いんだろうなーやだなーと思う。自分で受けた仕事でも嫌なんだから嫌になる。仕事というものは完璧に自発的なものではあり得ないと思っている。どんな仕事でもそれが仕事になる限りは他者との関係が必要だから。作家とかでもその作品を必要とする人間がいる。そういう関係の公に開かれたような感じが嫌いなのかもしれない。金銭が介在すると嫌が応にも誰にでも理解可能な尺度が持ち込まれてしまうから、お互いの関係性だけでは収まらなくなってしまうのが気にくわないのかもしれない。よくわからないので、かもしれないとしか言いようがないが。

 

朝の6時に起きると世の中が暗くて人間の起きる時間じゃないと思う。夜目の効かない生き物がこんな暗いうちから起きてどうするんだ。それを打ち消すために電気をつけてガスでお湯を沸かす。猫は暗くても平気だ。カリカリを食べてウロウロしている。

 

6日、ペンキ塗りに行った。やはり現場は寒かった。明日も行かなければならない。電気がなくて半地下なので暗くて寒くて労働意欲がわかない場所だった。わかっていたのでカイロや温かいスープやホットコーヒーなどを持って行ったが辛いものは辛い。

 

昔、友人が編集者になりたいみたいなことを言ってもし編集者になったら私の絵を雑誌に載せると言ったことがあった。当時中学生くらいだったと思うが、私はそれが嬉しかった。そう言ってもらえただけで満足してしまえるほどに。自分が好きな相手に褒められると満足してしまって途端に努力しなくなる。それが嫌で高校時代は褒められたら怒るようにしていた。それはそれでなんかおかしいし、素直に喜びつつ研鑚を積めばよかったけど喜ぶと喜びに溺れるので精一杯になってしまうから喜びつつ高みを目指すということができなかったのかもしれない。

2017.2.2ごろ 晴れてるけど寒い

2月になってしまった。もう2017年が抜き差しならないところまで進行して2度と元には戻らない。2月は寒い。12月と1月も寒かったけど年越しや正月のめでたいムードで寒さがごまかされる気がする。2月は特にめでたいこともなく、ただひたすら寒い。寒いわりには花粉が飛び始めるし酷い。

 

夜中の3時に目が覚めて布団の中の猫をかき分けトイレに行ってまた寝て7時過ぎに起きて猫に朝食を出した。寒いとストーブをつける気力すらわかない。猫が肉球丸出しで床を歩いているのすら寒そうに見える。すぐ膝に乗ろうとするから多分実際寒いんだと思う。

 

たまに私の生活を面白いと思ってくれる人がいたりしてそれを不特定多数に紹介しようと提案されることがある。しかし、個人の生活はその個人の能力に見合ったバランスの中で成り立っていてそれをその能力以上の影響範囲が想定されるところまで伝達してしまうと、おそらくその生活は崩壊する。観測されることのプレッシャーに耐えられたり、自分が有名になることで生活になんらかの利益を得られる場合はメディアに出るのもいいのかもしれないが。自分の生活圏内の誰に何を伝えて何を伝えないかということがとても大事で、それをコントロールできなくなるのは怖い。ひっそりのらくら生きていきたい。多分、メディアに出ない大勢の人がひっそりのらくら繊細なバランスの中で生きていて、そういう隠遁生活はほとんどの人間には観測不可能なままひっそりと終わっていくのだろう。新しくもなく古くもないごく普通の隠遁生活。

2017.1.28ごろ 寒さが緩んだ

この日記もだいぶいい加減になって来た。寒いししょうがないと思う。冬はなんでも寒さのせいにできていいです。年々寒さに弱くなってるし、今住んでる家が隙間だらけで外より寒かったりするので余計につらい。本当に引越したい。

 

以下、なんとなくツイッターに書いたことなどを箇条書きにします。

 

・生活にひとけが無さすぎる

・10人くらいでダラダラワイワイしたい

・でもあんまり社交的になりたくない

・途中から一時間くらい寝ててもいいレベルの集まり

・人と住みたい

・もしくは気のおけない人の近所に住みたい

・今日鍋やるから来ない?みたいなやつがやりたい

・都会は人の距離が近くて羨ましい

・東京に遊びに行った時に人間一人くらいさらって帰りたい

・山の化け物が里の人間をさらう気持ちってこれか

・猫三匹連れて行ける既存のシェアハウスないのかな

・インターネットで会ったことない人と仲良くなるの難しくない?

・インターネットで気軽に喋ることに憧れがある

・オフ会とか楽しそうだけど怖い

・田舎で家にこもってインターネット見てるのちょっと面白い

・どこにいてもいい

・そういえば都会にいた時も引きこもってた

・都会でも田舎でも生活あんまり変わらない?

・都会は会おうと思えば人に会えた

・沖縄は海がかなり楽しかったので寂しくなったら海に行っていた

・和歌山は暖かければ原付で遠出できる

・寒いのと周りに人がいないのがダメ

 

なんとかしたい…

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大体2017.1.10〜晴れてるけど寒い雪とか降った〜22

2017.1.9の朝に仕事が終わってから十日間ほど仕事がない。1.10に街に買い物に行って以降1.15まで全く外出せずにひたすら家にいた。何をしていたのかといえば毎日わらじを一足編んでご飯を作り、猫と戯れ、インターネットを見て、本を読んで、酒を飲んでいた。人の気配はインターネットの中にあって自宅の外でたまに声や足音がするのは人というよりも自然現象の1つのようだ。食料と電気とガスと水道と灯油さえあれば自分の生活はこの家の中だけで十分に完結してしまうようなもので殊更に何かと係わろうなんてする必要がない。自分以外の人間の存在は自分の生存に全く関係がない。「あなたがいないと生きて行けない」みたいなセリフは嘘だ。家があって飯食って寝て起きてれば人間は生きていける。一人でも個体の生存に問題はない。猫はいるけど。そんなこんなで1.15は久しぶりに外に出た。雪が降ってとても寒かったので酒でも飲もうかと思った。梅酒とホワイトベルグは家にあるけどそういうんじゃなくて日本酒の熱燗が飲みたかった。寒くて。コンビニも酒屋も日曜は休みなのでいったん諦めかけたんだけど近所の神社の土産物屋がかなり大きかったことを思い出して行って見たら日本酒がたくさんあったので無事に買って帰って熱燗を飲んでいる。

 

このあと酔って文章書く感じじゃなくなって寝るかツイッター見るかして1日終わった気がする。今は20日です。日本酒は翌日やや残るので気をつけないといけない。でも、自分が飲む酒の中では一番よく酔えるので好きだ。15日の日記では生きてくのは一人でもいいみたいな感じで終わってるけどそうじゃなくてやっぱさみしいみたいな風にまとめようと思っていたけどその前に酒が回ってしまっただけです。一人でもまあ大丈夫だけどたまには人にも会いたい。一人暮らしは飽きた。本当に誰か一緒に暮らさない?とか知人に聞いて回りたいくらいだ。こういうことは年に何回か考えるけど実際に一緒に住まないか打診したことはない。打診してみればいいような気がするがなんとなく、そもそもそういう選択肢が想像上のことのように思っている節もある。どこでもドアあればいいのにって言うけどどこでもドア開発しようとはしない、みたいな感じだ。たまにさみしくてこれ以上存在するのが無理!とかあたたかい泥の中で酸欠になって死んで行くような気分になることを除けば、一人暮らしは気ままです。いつか本当に一人でいるのが無理になったとしてその時に誰かと一緒にいるために行動を起こすだけの力があるのかどうか。死ぬ寸前まで空腹を我慢して食べる気力もないまま死ぬみたいなことになる気もする。それはそれで寿命って感じでいいのかもしれない。さみしさに耐えかねて死ぬとかウサギみたいだ。ウサギはさみしいと死ぬっていうのは嘘らしいけど。あのドラマってのりピーだっけ?青いウサギ。青い色のウサギ実際にいたら怖いな。せめて、目は赤じゃなくて茶色であってほしい。本当は昨日の夕方から今日の朝まで久しぶりの仕事があったはずなんだけどなくなってしまったので肩透かしを食らったような気分だ。悪くはないけど本当にいいの?こんなに働かなくて?とか言いつつ部屋の掃除と公共料金の支払いを済ませて昼からピザ焼いてホワイトベルク飲んで音楽聴きながら読書しつつ猫を愛でたりしていた。楽しいといえば楽しいし、さみしいといえばさみしい。いい加減人間と口をききたい。

 

途中から脳内会話をそのまま書く感じになった。酒を飲むとわりとつるつる文章を書くらしい。今は多分シラフ。さっきからリアルタイムでものすごくさみしい気分になったので記録でもつけようかと思う。かと言っても言語化できるような質のものでもなく、息がうまく吸えない感覚とか、頭の中でひたすら「アー」とか「ウワー」とか叫んでるけど外見はいたって普通で(当たり前か)ストーブの前に座って猫を膝に乗せながら本を読んでいる。たまに猫を撫でてストーブの上のヤカンの白湯を飲んだりする。頭の中ではいよいよ大変なことが起こっています!という感じなんだけどものすごく平和な外観。頭の中ではって書きましたが、頭が痛くなったりとかはしない。むしろ肺というか心臓のあたりが苦しい。圧迫感がある。嗚咽をこらえている時の感じに近いと思う。もちろん実際に泣いているわけではないし泣く気配もない。淡々とiPhone5cでフリック入力しているだけだ。こういう気分の時はひたすらじっとこの気分が好転するのを待つ。一人だとそれくらいしかできることがない。誰かしらに連絡を取って慰められたらさぞ安心するのだろうなーという妄想はよくするが実行したことはない。そもそもなんて言って連絡すればいいのか「さみしいから慰めてくれ」って急に言われたら困るだろう。そういう時に連絡したくなる人というのは大体自分が好きだと思ってる人なので困らせたくない。あと、メールとか電話とか相手の表情が見えないツールが苦手で自分から連絡取ったくせにうまく返信できずに余計に落ち込むこともある。文字情報だけだと相手の気持ちがよく分からないので緊張する。用事がはっきりしていれば平気だが、さみしいってぜんぜん用事でもなんでもないし何かやりとりしようにもぼんやりしすぎでなんて言っていいか分からない。で、誰かこういう時に会える人がいればなんとかなるんじゃないかと思うが、そう都合よく目の前に人が現れるわけもない。とか何回考えたんだか分からないけど本当にくだらないなーと思う。そして飽きた。飽きた、と感じたところでさみしさはなくなっている。あとはひたすら馬鹿馬鹿しい。しょうもない。困らせたくないとかいう軟弱な言い訳にも腹が立つ。人間関係をややこしくするストレスに耐えられない弱さとか、自分の弱みを言質残る形で他人に表明したくないとかそういうせせこましさが現状の生活を作り出している。それはそれでいい。なんだ、この間抜けな一人芝居はと思ったら落ち込み終わり。

 

今は22日です。昨日は久しぶりにパン屋とカフェに出かけて人と喋ってカフェのWi-Fiで猫タンブラーを更新したり、来月の旅行の宿泊予約やバスの価格比較などをしていた。Wi-Fiがあると快適なインターネットができる。動画も見たい放題。帰宅後、ソフトバンクの速度制限も解除されていたのでさらに調べ物が捗った。ふと、一年前に書いていたひどい内容の日記を思い出して久しぶりにログインした。タイトルを見ただけで全部消した。ああいうのは読み返さない方がいい。ちょっと読み返したいなーとも思ったけど消してスッキリした。

 

唐突に人と関わりたくなる。あー、人と関わりたい!!と思うが周りに人がいないのでひたすら関わりたい!と、思うだけ。二月の旅行の手配で友人たちとやりとりするのも終わってしまったしとくに連絡するようなことがない。用事がないというのは悲しいことだ。ちょくちょく合わないと用事ができるきっかけなんてどんどんなくなっていってしまいには関係が切れてしまう…。それは嫌なので自分で会いにいったりするわけだけど。意思とか志向を向ける相手がいるだけでも良しとしておこう。京都と東京に行くんだけど東京滞在がわりと長いので近辺に住んでいる人に連絡して遊びの予定でも立てよう。