日記

日記

2019.9.27 晴れ

前に使っていたiphoneをラジオがわりにしようと久しぶりに起動させた。今のスマホとさわり心地が違うので少しTwitterを見て投稿しようとするとカメラロールに残った前の家の写真が見えた。食卓にワインとつまみ(トマト、じゃがいも、ウインナー?)と高架下で摘んだ花が活けられた一輪挿しが乗っていてそこに西日が射していた。二年前に確かにそういう日があった、全然覚えていないが、私はこういうものを写真に撮る。カメラロールを遡ると熊野の最後の日々と東京の最初の日々が残っていた。その時のことを覚えているような写真は少ないがどれもなんとなく覚えているような、そういう生活があったことは確かだった…確かだったというのは、エピソードとして残らない膨大な時間も記憶を構成している、というのは当たり前なんだけどそれを確認した気がする。