日記

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大体2018.10.27 晴れ曇り雨など

性行為について考えている。性行為の存在を知ったのは多分10歳以前だったと思う。夜のドラマか映画の濡れ場を覚えている。それ以外にも画像や文章で存在を確認することが度々あったし学校で性教育もあった。12歳ごろには大体どんなものか理解していたと思う。性を扱うコンテンツは様々なものがありその中で様々な性行為が展開されていたし、性行為だけでコンテンツとなっているものもあった。自分もそのうち他人とこういうことをするようになるのかと漠然と思っていたがなかなかそういうことにはならず、自分が見てきたコンテンツの登場人物と同世代になり年上になっていった。自分はどこかおかしいのではないかと思ったのが24歳くらい、が、特におかしいとも思えなかった、ので、そういうことをしない人生というものもあるし、自分はどうやらそういう人生を送る可能性が高いと思ったのが28歳くらいだった。尼寺に入ったとか特にドラマチックなこともないまま普通にしていたら性行為と関係のない人生をごく自然に送ることになる可能性があるのかという驚きがあった。それはそれで、何か一つ人生の中にファンタジーを残しておくようで面白いと思ったのが30歳だった。性行為を体験したのは32歳だった。今まで見聞きしたコンテンツにあるようなことをした、と思った。本当にあったのか性行為、と思った、と同時にそんなことを考えてしまっていいのかとも思った。この文章は意図的に生々しい感情を排除している。面白かった。コミュニケーションの形として新しかった。自分・他人の肉体にここまで干渉される・することを許されるということがこの世にあったのか、と思った。快楽というよりは許可を与えあうというところに価値があり、快楽は許可されたことに対して存在していると感じている。肉体への刺激自体が快楽ではなくそれをすることを相互に許されたと感じることが快楽となり、だから、気持ちがいいのは肉体よりも脳だった。自分の場合は。