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日記

日記

2016.7.21 曇りのち雨

長期で出かけると日記を書かなくなる傾向にあることがわかった。忙しいか暇かは関係がなくただなんとなく書かなくなる。

 

あっさり振り返ると、15日は宿泊先の掃除をしてから人を呼んで宅飲みからの雑魚寝。16日は用事がある人は出かけて行き、その他はそのまま昼前までゴロゴロして昼過ぎごろ蕎麦屋で蕎麦食べて解散。私はそのまま大学の友人と遊びに目黒へ。ケーキ食べておいしい居酒屋で飲んで炭酸泉の銭湯に入って帰宅。17日は特に予定がなく散歩、ユニクロハナマサなどに行った。ハナマサで買った食材で焼きそばを作ってひたすら金麦を飲んで寝た。18日も焼きそば金麦で夜は日暮里で友人とラムパクチー焼き飯を食べてドトールで喋って帰った。19日も焼きそば金麦。暑くてベトベトするので昼過ぎに銭湯に行く。夕方友人と上野の古城という喫茶店で軽くお茶して帰宅。宿泊先の人とラーメン食べてから寝る。20日は4時に起きて上野からの始発で熊野に帰る。4:42〜17:04まで18切符の旅は疲れる。18:30頃には帰宅。猫の無事を確認して夕食。少し横になったら疲れていて眠ってしまった。

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21日は6:00〜9:00の間に何度か目が覚めては眠るのを繰り返して10:22に目が覚めた。疲れていて何もやりたくないが10日分の掃除と洗濯をしなければならない。とりあえず風呂に入って洗濯、掃除を済ませると昼。調味料と炭水化物しかないので肉なしペペロンチーノを作る。少し眠ってから買い物に行くつもりで仮眠を取って目覚めたら雨が降っていた。止む気配がないので買い物は明日。起きる気にならないのでひたすら布団の上でウトウトゴロゴロしながらツイッターやブログを読む。途中小腹が空いたので冷凍しておいたホットケーキを食べる。そしてまた布団に戻る。19:00部屋が暗いので電気をつけるついでに起き上がって冷蔵庫で冷やしておいたホワイトベルクを飲む。何かつまめるものがあればいいけど特に何もないし作る気力もない。雨はまだ勢いよく降って止む気配もない。もうこのまま眠ってしまう方がエコだなーとか考える。明日は早く起きて業務スーパーとイオンでサラダ油、オリーブオイル、乾燥ニンニク、挽肉、ブラジル産鶏肉2キロ、ボウル、トマト缶、野菜各種、卵、豆板醤、花椒などを買いに行くつもりだ。友人とメールをした後3分ほど電話した。夏に遊びに来るかもしれないらしいので楽しみにしておく。猫と布団でゴロゴロしているだけなのに腹が減るのでコーヒーに砂糖とクリープを入れて飲む。正確にはクリープではなくてそれっぽい別の商品だが輸入品なので正式名称がよくわからない。コーヒーはインスタント。

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これは昨日のことなんだけどふるさとについて考えていた。ふるさとは場所ではなくて人間との関係によって生じるものだ。自分がある程度の期間育った場所で、大体の場合はそこに両親なり友人なりの自分と長く関係を築いた人間が住み続けていて自分を迎え入れてくれる。そういうものがふるさとと呼ばれるのだと思う。その関係が破綻している場合はそこはふるさととして機能しない。まあ、親とか近所とかと折り合いが悪い場合は育った場所をふるさととは呼べないというか呼びたくないという自分なりの感覚なのだけれど。どこにも帰るところがないとか、どこかに帰りたいとかいう感覚がいつからあるのかわからないくらい前からあって家にいるのに「あー帰りたい」などと独り言を言う。私が帰りたいのはどこか。多分安心できる人間関係の中に帰りたい。安心できる人間関係とは何か。誰にも何も要求されず要求せずただそこに存在していることを許容されている状態で気ままに人と関わったり関わらなかったりしたい。そういう関係でいられる人間のいるところをふるさとと呼びたい。そういうふるさとはたくさんあった方がいいし私も誰かにとってそういう存在であることができればいい。たくさんのふるさと的な人間関係を持つことは家族を作ることに匹敵するし場合によっては凌駕すると思う。人間に対してふるさとって言うとなんとなく重いような気もするが、いつでも遊びに来ていいよって言ってくれる人がたくさんいると楽しいということだ。自分が安心できる人間関係を分散させておけば一人の人に私という重荷を背負わせて圧し潰すこともないだろう(これはまた別の話かもしれない)。

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