日記

日記

2016.6.28 大雨と小雨

前回からだいぶ間が空いた。梅取りの間は人間関係が賑やかなのと体力が持たなかったので日記を書くのを諦めていた。梅取りは6/18で終了して6/19には家に帰っていたのだけど友人が遊びに来ていたのでそっちに気を取られて日記を書く気にならなかった。梅取りで二週間他人と食事をしたりたわいないことを話したりするのが楽しく、一人の家に帰るのを先延ばしにしたくて友人が宿泊している家に出入りして一緒に食事をしたり焚火や花火やDIYなどに勤しんだ。ずっと一緒にいても飽きるので昼間は家に帰って猫と遊んだり買い物をしたりしていた。6/23で友人が帰り、先延ばしにしていた一人の生活が再開されてしまったのがさみしくて日記を書く気にならないまま今日まで時間が過ぎた。

 

今日は5:30の目覚ましをかけていたが5:19には目が覚めてツイッターを見ていた。雨がひどい。5:30に目覚ましがなったので起き上がって猫に餌、着替えて弁当を詰めて5:45出勤。6:03タイムカード打刻。7:00朝食二組三名うち一名パン食。仲居復帰2日目なのであまり動きが良くない。6月は暇なので助かった。厨房からパンとスープを分けてもらったので食べる。8:00には食事も終わりチェックアウトを待つだけ。雨は激しい。8:50お客さんがチェックアウトしたので掃除。9:16タイムカード打刻。9:30頃帰宅。雨がフルフェイスヘルメットに当たる音が面白くてぼーっとしてたら事故りそうになる。山道が所々崩れていて不安。カッパを着ていたのに雨が流れ込んで服が濡れた。猫に出迎えられながらコーヒーを入れて饅頭を食べた。7月の東京旅行の電車とバスを調べる。やはりそこまで安くはない。が、ほとんど底値の1820円の名古屋東京夜行バスを発見して予約する。コンセントが付いているらしいので眠れなくてもケータイを見ていられるから安心。11:50昼ご飯。ひやむぎに錦糸卵と漬物を乗せてごま油と出汁醤油をかけたもの。猫が台所の棚の上に乗っているので下ろす。

 

この日記は毎日起こったことを書くだけにしようと始めたのだけれど考えてることも書くことにする。といってもそんなにたくさんは書かないかもしれない。基本的には自分で自分と対話するための日記なんだけど自分以外の誰かに宛ているようなところもある。でなければノートに鉛筆で書いていればいい。これは他人に読まれるためにも書かれている文章です。人に聞かせられないことは書かない。みたいなことが前までの日記のツイッターしながらぼーっとしていたとか2時間くらいぼーっとしていたの「ぼーっと」の部分に当てはまる。

 

もとの肛門線に老廃物が溜まっているのが気になっていたけど今見たら取れていた。猫たちは雨のせいなのかちょっと起きてはすぐ眠ってしまう。ブコウスキーの酔いどれ紀行を読んでいる。ツイッターを見ながらなので散漫な読み方。面白い。友人から連絡が来て遊ぶ約束をする。別の友人から荷物が届いた連絡が来る。ブコウスキーは酒を飲みまくって恋人とドイツを巡って仕事もするんだけど酒を飲んでる様子がとても楽しそうで羨ましい。14:00弁当用のおかずを作る。ズッキーニ、ナス、ピーマン、玉ねぎ、卵、生姜、ニンニクを塩、鶏ガラ出汁、砂糖、フルーツソースで炒めてごま油をかけたもの。割とうまくできた。ニンニクと生姜は常備すべきだ。雨は小降りになってきた。15:00弁当を詰めて少し本を読んで15:15出勤。15:37タイムカード打刻。今日はお客さん一人しかいないのでもっと遅く来てもよかった。二泊目なので用意できるものが特にない。時間があるのでコーヒーを入れて日記を書いている。

 

最近つまらないなーと思うことがあって、それはうまく言えないんだけど結局全ては社会に着地してしまうんだなということ。新しい生き方とか働き方とか言っても結局全部社会の内側の話でしかないというか、社会の内側になってしまう。それは悪いことじゃなくて一つの新しい考えが社会に受け入れられて社会の多様性が増したってことなんだけど。なんとなくつまらない。社会の外側ってないんだろうか。多分あるんだろうけど観測できないくらい私が社会の内側にいるだけなのかもしれない。というか、それを突き詰めていくと多分幸せにならない。あと、新しい生き方とか働き方も今までずっと続いてきた新しくない生きたかとか働き方と地続きで新しくない生き方とか働き方がなくなってしまったら成り立たなくなる。まあ、それも当たり前で何もかもから切れた生き方や働き方なんて狂気の沙汰なのかもしれない。人間でいる限り社会の内側にしかいられないしいろいろ面倒くささや不便を感じていても生活しているわけだし自分もちゃんと社会に適応している。けど、何もかもから切れて誰にも理解されず誰のことも理解しないまま充足して生きることはできないんだろうかもしできたらそれはとてもきれいだよなーと思うんだけどそもそも何もかもから切れたところには価値とか意味とか存在しない。それをきれいだとか言っている時点で自分にはそうやって生きることができない。生きていることに関して美しさとか良さとかにすがろうとするのは無意味。多分、何もかもかもから切れて生きている人間を社会の側から見たときには人間の形をした昆虫みたいに見えるんじゃないか。そしてそれはやっぱ駆除されるんだろう。駆除されないならそれも社会の内側の生き物だろう。なんか話がよくわかんなくなった。そもそも社会ってなんなのかものすごく薄ぼんやりしたイメージでしか捉えられてない。自分が不自由を感じる部分について「社会の境界線に触れた」と思っている。書類とか年金とかそういうのが社会の輪郭の一部なんだけどだんだん考えるのが面倒になってきたから保留。

 

16:00弁当を食べる。お客さんの夕食は18:30開始。まだ時間がある。雨がまた強くなってきた。昼当番さんと洗い場さんと喋る。ゴム手袋の洗い方を教えてもらう。17:00着替えていたら受付の女性から呼ばれてプライベートに関して質問したいことがあるという。若干ビビりながらも質問に答えることにすると個人的な研究のためにという出だしで性的な経験について具体的に聞かれたので素直に答えておいた。思った通りだったらしい。話すのは面白かった。18:30夕食準備しようとしたらお客さんが風呂に入るというので少しずらす。事情があり鯛のあら煮がすき焼きに変更される。私も厨房も暇すぎてミスしそうになる。20:30部屋に様子を見に行くとまだ食事中だったが朝までほっておいていいとのことだったので風呂に入って帰る。21:20ごろ帰宅。猫に餌、歯を磨いてすぐ布団に入る。友人から連絡が来ていたので遊びの予定を入れる。しばらく猫と戯れながらツイッターやって22:50くらいに眠ろうとしたが天罰のように胃が痛くなって眠れない。どうしようもないのでひたすら痛みを我慢しながら眠る努力をし続けた。

 

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