日記

日記

2017.11.26 晴れ

7時半くらいに起きて猫たちに朝食を出してまた寝る。11時過ぎに起きる。ツイッターを見つつぼんやりする。大江戸骨董市が東京国際フォーラムで開催されているらしい。コーヒーを飲みながら骨董が見たいような気がしてくる。金がないし特に何も必要なものがないので迷ったが行くことにする。さっさと着替えて家を出る。12時半くらいに電車に乗る。まだ何も食べていなかったので空腹だ。電車を降りたらとりあえず食事をしようと思う。東京駅の地下で道に迷い地上でも目的地の逆に進んでいる。方向感覚が全くない。なんとか目的地にたどり着く。道すがら何か食べるところがあるかと思っていたが特に見当たらず、骨董を見ることにする。見始めると空腹感を忘れる。高いものには興味がない。ベロ藍の丼がないか探す。ウランガラスがきれいだったが高価で、鑑賞にとどめる。しばらく目の保養をしつつ歩く。古い銀のスプーンやフォーク、風呂敷包み、焼き物、人形、ハサミなどに落ち葉が積もって風情がある。300円~500円で皿を売っている店に引っかかる。かわいい。自宅で使うのでこれくらいの価格帯のものが好きだ。大正時代の小皿を三枚買う。そのあと別の店で1000円の中皿も買う。見るだけのつもりだったが連れて帰りたくなったので仕方がない。買い物に満足したところで空腹がよみがえる。食べ物を求めて歩いていると有楽町無印の外で無印のカレー屋台があったのでバターチキンカレーを購入。おいしい。ついでに無印も見る。特に買うものはない。人が多い。帰る前にビックカメラバルミューダのオーブンレンジを見る。かっこよくて高くて12月中旬にならないと手に入らないらしい。日比谷から帰る。日比谷と東京と有楽町と銀座が近いということに気が付く。皇居の堀も見た。明石城みたいだと思う。11月があと4日しかないことに驚く。16時前に帰宅。本棚に皿を並べる。やはりかわいい。お茶を飲みつつインターネットを見る。18時過ぎに夕食を作って食べる。トマトとキャベツのスープ、豚肉と椎茸と生姜の炒め物、白米。薄切りの肉は保水率の高い野菜と炒めたほうがおいしい気がする。19時過ぎに猫たちの夕食を出す。YouTube大黒摩季を聞く。当時はあんまり気にしてなかったけど「あなただけ見つめてる」すごい歌詞だと思う。

2017.11.20 晴れ曇り

7時ごろ、同居人が起きる気配で一度目が覚めたが寒くてそのままうとうとする。同居人の分の布団もかけてもらって寝続ける。10時前くらいに起きだしてコーヒーを飲む。頭も体も起きていない。寒いと活動が鈍くなる。しばらく猫を膝にのせてぼーっとする。ツイッターを見ると目が痛くなる。ずっと気にかかっていた本棚を組み立てることにする。材木の寸法を間違えていたので組み立てが面倒。前回組み立てようとしたときに様々な障害が発生してやる気をなくしたので、今回はそのようなことがないように落ち着いて着実に作業しようと思う。組み立て始めて支柱の2×4がかなりねじれていることに気が付くがそのまま作業を続行する。13時ごろ半分組みあがったので休憩する。朝食兼昼食にハム目玉焼きパンを食べる。目玉の部分が逃げて変な形に焼きあがる。食べた後しばらく休憩して作業再開。木のゆがみと水平器が無いので水平垂直を取れないせい、その他もろもろの原因で切ってもらった板がはまらない。はまらない板を少し切って調整する。ややゆがみがあるものの棚板もついた。ラブリコで柱を固定しているので倒れる心配がない。部屋を掃除して本や小物を置いてみる。壁一面棚にすると迫力がある。ファジーな出来栄えだが個人的には満足した。使用するのに問題ない程度のゆがみや隙間やささくれなどはむしろ唯一無二の愛嬌があっていい。明日も同じ構造の棚を作るので今日よりも上手くやれるはずだ。この部屋の棚が出来上がったらもう一つの部屋の棚をどうやって作るか考えようと思う。今年中には何とかしたい。

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2017.11.15 晴れ

最近妙に長く寝てしまう。十二時間ほど眠って起きた。9時になっても猫たちが朝食を要求してこないと思ったらピュリナワンの袋が破られていて、自分たちの力で空腹に立ち向かったらしい。コーヒーを飲む。しばらくしてから玉ねぎを半分、昨日の残りの牛肉の甘辛煮に加えて牛丼を作る。同居人が起きてきたので一緒に食べる。同居人は食べたら布団に戻っていった。猫を膝に乗せてしばらくぼんやりとインターネットを見ているうちに家にいることに飽きてきたので出かける。西日暮里まで歩く。以前歩いたときはもっと時間がかかったような気がしたのにあっけないほど早く到着する。特に用事があるわけでもなかったのでそのまま谷中のほうに歩く。公園と神社を抜け富士見坂というところに通りかかったが大きいトラックが停まっていて景色は見えなかった。谷中銀座の近くまで来たがそちらには行かず谷中霊園に入ってみる。墓地の中は空が広い。静かで複雑な石の迷路の中をぽつぽつと人が歩いている。お参りに来ている人は見当たらず散歩で来ている人か墓を作る人、掃除の人ばかりで少し安心する。墓石は傷んでいるものも多い。新鮮な花が活けてあると生生しい。線香のにおいはあまりしなかった。徳川家の墓のところで観光っぽい集団に出会う。有名人の墓をめぐっているらしい。有名人の墓でなくとも主張が強めな墓石がいくつかあって面白いと思う。建造中の墓や墓の建造予定地もあった。墓を飲み込む勢いで成長している巨木も見た。墓石の横に木を植えると後々面倒だなと思う。霊園を抜けて東京芸大から上野公園に抜ける。上野公園は平日でも人が多い。どこかに座ってお茶でも飲みたいと思ったが落ち着かないのでしばらく歩いてサンマルクカフェに入る。15時過ぎでほぼ満席状態のサンマルクでは机に突っ伏して寝ているサラリーマンが三人ほどいた。ベトナムコーヒーのホットを注文する。ものすごく甘い。そろそろ働きたいが履歴書を書きたくない。職歴は複雑すぎて書けないし覚えてない。しばらく休んでから古着屋で服を見るがなんだかしんどくなって吉池でタラと牡蠣とミカンとキノコを買って電車に乗る。帰る途中に近所のスーパーで白菜と春菊とうどんと梨を買う。16時過ぎに帰宅して小腹がすいたのでスミノフアイスとQBBチーズを二つ食べる。土鍋に昆布と水を入れておく。18時ごろ同居人が起きてきたので鍋を作る。牡蠣がうまい。〆はうどんにするつもりだったが満腹になったので今日は終了。明日うどんか雑炊を作ることにする。同居人はしばらくすると布団に戻っていった。食器を洗ってから猫と遊んだりインターネットをしたりする。昨日よりもやや前向きな気分になっている。明日サンドイッチを作ろうと思いパンを買いに行く。8枚切りが安くなっていたので買う。帰りにコンビニでハーゲンダッツのイモがないか見る。なかった。帰宅後、猫と遊びインターネットを冷やかし今後の献立を考える。干し椎茸と干しタケノコを戻しているので明日の夜は焼き飯と何か中華っぽいおかずでも作ろうかと思う。そろそろ寝た方がいいのに眠る気分にならず、だらだらとパソコンをさわり続けてしまう。

2017.11.12 晴れ

十時間以上寝ていた。意識が朦朧としているがこれ以上は眠れない状態で起きているとも言い難い。ケータイを探し出してツイッターを開いてみると目の奥がぼんやりと痛い。痛いままタイムラインを見る。空腹だが特に何も食べたくない。ケータイの時計で10時半過ぎであることを確認する。とりあえず起き上がって顔を洗う。猫はもう朝食を食べて眠っている。同居の便利なところだ。目が開けにくいと思っていたら瞼が腫れている。冷水で顔を洗いながら瞼を揉む。さしてすっきりしない。水が冷たい。コーヒーを飲む。友人を作ることの難しさについて考える。ほぼ答えは出ていて新しい人間と無意味で無目的な時間を無言で過ごす期間を数年にわたって持つことが不可能に近いからだ、と思う。会話が盛り上がったからと言って他人と親しくなるかというと(親しくなる可能性は高いんだけど)そうとも言い切れなくて何かよくわかんないけどよく会うみたいなことで親しくなることも多い。大学時代の友人は後者に当てはまるし自分にはほとんど大学時代の友人しかいない。職場で仲良くなった人々とは転職のたびに関係が切れる。共有できるものが職場にしかなかったからだと思う。転職し過ぎで人間関係をはぐくむ時間が足りてないのもある。大学では六年間ほど人間関係を育てる時間があり、その間にはたくさんの無の時間の共有が含まれておりそれが結果的に大学という場を離れても関係性を保つことに役立っているのではないかと思う。惰性といえば惰性だろうか。ここ数年でできた友人はほとんどすべて和歌山で知り合った人々で、毎年泊まり込みで梅の収穫に行っていた農家の人であったり、最初に住んでいた家の家主とその友人でたびたび家に泊まりに来てしばらくぼんやり遊んでいく人々であったりする。個人に対して思い入れがあるというよりも(実際そんなに共通の話題がないししゃべっていて盛り上がることもあまりない)ある状況の共有が数年を通して起こり続けた結果何となく親しみを覚えるようになったという形だ。和歌山に家の家主は東京に住んでおり和歌山居住時代は年に二、三回ほど長期で滞在させてもらっていた。滞在期間中も特に一緒に何かするということもなくそれぞれの時間を自由に過ごしているだけだった。特に盛り上がることがない人間関係だが居心地がよかった。人間関係未満なのかもしれない。人間と直接かかわるのではなく、状況を通して人間と間接的に関わる?みたいな。うまく説明できない。お互いが見つめ合っているのではなく同じ月を見ている、みたいな、月でワンクッション置いた関係が許されるという感じ。距離感がある程度あるほうが安心する。相手の存在に常に意識を向けなくても同じ空間にいていいという気楽さ。大学時代の友人についてもこの感覚はある。アトリエで絵を描く友人を眺めながらぼんやりとコーヒーを飲んでいる時の感覚。お互い別のことに集中しつつ同じ空間に存在することを許される感じ。更にさかのぼると、小学生のころ友人の家に集まってそれぞれが持ち寄った漫画を交換して会話も時間も忘れて読みふけっていた感じ。和歌山の農家の場合は梅の収穫がその時間に当たる。同じ山で各人が黙々と果実の収穫にいそしむ。無意味で無目的な時間という言い方から外れてきた。お互いを直接的に意識しない時間というほうが正しい。少人数でお互いを直接意識しなくて済む時間を長期にわたって持つことで友人を作ってきたって書いたらそれってめっちゃ運任せだな。意志が薄弱。でも運がいい。いや、たぶんそういう時間の過ごし方をさせてくれるタイプの人間を見つけたらそれなりに積極的に自分から連絡して遊びに行ってるので意志はちゃんとある。

 

午後から本棚を組み立て始めたが見事に失敗してもうどうしようもない気分になったので出掛けようとしていた同居人にひとしきり言い訳をした後、一人でピザを取ってやけ食いする。ワインも飲む。ダメなときはダメだ。悪あがきすることもできないくらいにダメ。こういう日は何かやってもろくなことにならない。諦めが肝心だ。

2017.9.26 晴れ

数日前に審査中だった物件を借りれることになった。入居日も決まった。あとは契約をすませるだけだ。これでやっと猫をケージから出せるし自由に自炊もできる。空っぽの家に家財道具などを揃えて生活を組み立てて行くのは何回やってもおもしろい。一人暮らしには慣れているけど今回は二人で暮らすのでやや勝手が違うのだろうなーと思う。やって見ないと分からない。今の仮住まいは人の出入りが多く、猫をケージから出せない事もあってあまり心が休まらなかった。これで落ち着いて暮らせるようになるはず。

2017.9.22 夜中

日記書いたけど公開した途端に消えた。一度書いた文章をもう一度描くのは無理だ。とにかく昼に寝すぎて夜ねれないこと、家を借りれるか分からなくて不安なこと、東京の冬の寒さへの恐怖、不毛な考えを追い払うための散歩の必要性について書いていたことだけメモしておく。

2017.9.19 晴れ

何もしたくないし何も考えたくないが、行動と思考を放棄すると何も進まなくなるし現状維持もままならない。そもそも現状から脱却したいので考えないわけにはいかない。もう面倒臭い、何もかもなんかぼーっとしてるうちに自分に都合よく心地よい生活がお膳立てされないものだろうか。考える余地があるし特に悩む必要もなく次にすべきことも分かるが何もしたくない。何もしたくないと思いながら様々な事柄をこなしていく。結果としてその方が近い未来(一ヶ月後とか)の自分にとってより良いだろうという確信がある。現在の自分の欲を蔑ろにしてもいいと思うくらいには未来に自分が存在していると思っている。一ヶ月後も自分が生きていて今よりも良い生活を送るかどうか分かるはずもないが、現状から予測してその可能性が一番高くなるように行動している。そういうことができるくらいには世界の連続に対して信用がある。でも今は何もかも面倒なんだよな。